破産申告からのカム・バック。1世紀前から動き続ける針工場によるブランド・マーケティングと産業遺産博物館のダブル・サクセス !

ラ・マニュファクチュール・ボアンは、ノルマンディ内陸地方にある。このあたりは、15世紀末から鉄という第一次産品が採れ、火力の源である木材を調達する森林に囲まれ、水力を得るリル川が流れる。これらの資源を生かし川添いに工場が多数建設され、各種金属工業が発達した。

パリとモン・サン・ミッシェルを結ぶ巡礼路上にある地方都市、レーグルなどに工場を持っていたバンジャマン・ボアン氏は、1866年、近所にもう一つ縫針を生産するために工場を買いとった。バンジャマンはその後、安全ピンを製作する機械を1890年に発明、1900年のパリ万博に参加する頃には針4億本、ヘアピン30億本を生産する会社になっていた。この第一次世界大戦直前には600人が働いていた工場も、時代は変わって止む無く破産申告を強いられたのが1997年。この年、販売部門の責任者だったディディエ・ヴラック氏の社長に就任、倒産は回避できた。

だが、社運を変えたのは2000年5月1日だった。この日、視聴率の高いテレビ番組で取り上げられたラ・マニュファクチュール・ボアンのレポルタージュが、驚くほど大きな反響を呼んだのだ。その後、工場見学希望者が日に日に増加。彼らは「しっかりとコミュニティの歴史に密着し、発展したこの会社では、創業当時の機械が現役で作動し、今では唯一となったフランス製の針を生産を続けている」地元の工場の存在に気付き、そのバリューに感動を見いだしていたのだ。同時に、工場側も「大衆に感動を与える産業遺産」のバリューを、国際的なブランド・マーケティングに生かし、自社の製作過程を一般公開する産業博物館創設のプロジェクトが産まれた。

そして2014年に”ラ・マニュファクチュール・ボアン”として一般公開を開始した。創業当時と同じ機を使い、1世紀以上繰り返されている作業を経て現在は唯一の存在となったフランス製の針が生産されていく過程を見学した後は、世界的に有名なミュゼオロジー・プランナーが担当するおしゃれなコーナーへ進む。針にまつわる手工業の説明、地域産業の歴史、ボアン氏とボアン社の歴史と歴史背景、オートクチュールデザイナーによる針にオマージュを捧げるドレスの展示、フレンチ・ポップな昔の広告など楽しめる。

ショップのスペースでは手芸関係のアトリエ、企画展もしばしば開催される、大人も子供も楽しめる産業遺産博物館は、毎年入場者数を延ばし続け、地域観光プロジェクトのリーダー的存在になっている。

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