日本にブライダル市場をもたらしたウェディングドレスの女帝デザイナー、桂由美氏が、ジャパネスクなオートクチュール・コレクションで今年もパリジェンヌを魅了。

1960年、パリでオートクチュールを学んだ後、日本に『ウェデング』という言葉を持ち込み、自ら市場を開拓・・・、『ウェディングドレスの』という形容詞は、この偉大な女性デザイナーの貢献があったからこそ存在するのでは無いかと思う。現在3兆円とも言われる”日本のウェディング市場の母”、桂由美氏を知らない人は日本にはいない。

彼女が赤坂にブライダル専門店をオープンしたのは東京オリンピックが開催された1964年。この頃、日本の結婚式は伝統衣装の着物を着るのが常識だったが、翌年にブライダル・コレクションを発表。1968年には、文化出版局から日本初のブライダル・ファッション専門誌『ブライダルブック』を刊行するなど、”ウェディング”という言葉が無かった日本に”ウェディング市場を作ったプロデューサー、あるいはスーパー・ビジネス・ウーマン”と言っても過言ではない桂由美氏。

オートクチュールのデザイナーである彼女が、モード界の檜舞台、パリ・コレクションに参加を始めたのは1987年。観客の中には『大胆且つ自由奔放に我々のロマンチックな夢を実現しうる人は彼女しかいない。』と絶賛したフランソワーズ・サガン氏もいた。

その後世界でコレクションを発表し続ける中、1990年代後半、『自分達らしいウェディング』が主流になった日本では、シンプルな『由美ライン』ドレスが凱旋大ヒット。また、この頃からドレス感覚で切られるオーガンジーの打掛など、伝統衣装としての着物を彼女流にアレンジしたような新しい”和”感覚オート・クチュールを精力的に発表。

近年は和紙、友禅染め、辻が花染めなどの日本の伝統技法を取り入れ、”ジャパネスクなオートクチュールのYUMI KATSURA”を世界で発表。2005年には、ココ・シャネルが第一号店を持ったカンボン通りに、アトリエ・ショップ兼オートクチュールのショールームもオープンした。

そして、2017年7月にパリ4区にある区役所で開催された2017-18秋冬コレクションでは250人以上の観客を前に、琳派の画家、俵屋宗達の『白象』、鈴木基一の『夏秋渓流図屏風』、『朝顔図屏風』などをモチーフにしたドレス、スーツなどを含めて25点を披露し、伝統とオリジナリティの融合するYUMI KATSURAの世界へと誘った。

会場には、伊藤若冲の蛸のシャツや尾形光琳の燕子花図のワインピースといった前回のコレクションを着て来場した顧客やファンのほか、フランスの業界誌ジャーナリストも多数来場しており、革新的な日本の伝統を形にしたコレクションを高く評価していた。

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