生誕120年記念、130年記念の大規模な回顧展に続き、レオナール・藤田嗣治 没後50周年に当たる2018年は、この <狂乱の時代に描く>FOUJITA展で、代表作を含む初期から1931年までの作品、百点以上を一挙に鑑賞できる。東京都美術館、京都国立近代美術館での開催に先立ち、藤田が愛したパリ、セーヌ川左岸に位置するマイヨール美術館で2018年7月15日まで開催中だ。
Léonard Tsuguharu Foujita, Femme allongée, Youki,(横たわる女、ユキ) 1923, huile sur toile collection particulière © FondationFoujita / Adagp, Paris, 2018 Photo : © Archives artistiques
水彩画が中学生の作品としてパリ万国博覧会に展示されたとき、明治19年(1886年)生まれの藤田嗣治は14歳だった。そして、医者だった父の理解を得て油絵を描き始め、ほぼ同時期に、フランス語を習いはじめており、この頃すでにパリで画家になる夢を抱いていたことが伺える。東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学するが、卒業作品は黒田清輝に悪評された逸話が残る。働き出し、結婚もしたが、パリで画家になる夢を捨てられなかった彼は、世界の檜舞台である芸術の都、パリで、”腕一本”で夢を実現させるため、単身渡仏をする。1913年のことだった。
藤田がたどり着いたパリは、ロートレックが描いたようなモンマルトルあたりのキャバレーや売春宿、アール・ヌーヴォー装飾を絵画に組み込んだようなクリムトが妖艶な女性、ルドンやモローの描いた幻想的な絵画などに代表される世紀末を経て、産業革命や消費文化に象徴される華やかなベル・エポック時代の香りがしたに違いない。
間も無く第一次世界大戦が勃発し、退去命令も出たが、藤田はモンパルナスにとどまり、極貧生活を強いられていた。やがて、アーティストの坩堝的存在だった “洗濯船” があったモンマルトル界隈から、ピカソをはじめ沢山の芸術家が家賃の安いモンパルナス界隈へ引っ越してきたため、パリのアートシーンは変貌。新たなメッカ、とりわけモンパルナスのヴァヴァン交差点付近にあるカフェのテラスは、文芸人、芸術家、あるいは偽芸術家、はたまたモデルやモデル志望たちで賑わっていた。
藤田は、ピカソ、ヘミングウェイ、ブラック、ブランクージ、ザッキン、キースリング、パスキン、インデンバウムらに混じって交友を広めていく。1920年代後半、不夜城と化したモンパルナスを象徴とする時代は、狂乱の時代 Les Années Folles と呼ばれ、モンパルナスに生きた個性豊かな外国人芸術家たちは、エコール・ド・パリ(パリ派)と呼ばれるようになる。ここで藤田は、美しい裸婦画と肖像画でエコール・ド・パリを代表する一人となり、狂乱の時代の寵児となった。
展示は、日本のモチーフにした洋画などを描いたパリ時代の初期の作品を展示する「パリの日本人」コーナーから始まる。ピカソやルソーに出逢い影響を受けながらも自分のスタイルを探しつづけた様子が伺えるのは、「風景画と孤独な足取り、モンパルナス、モンマルトル、パリ郊外にて(1914-1916年)」のコーナー。スーチンとモディリアーニの友人だったモデルのフェルナンド・バレーと出会って13日目に結婚した藤田。フェルナンドが作品を持ち込んだシェロン画廊で、1917年、初の個展を開催する。その後、同画廊と7年間にわたって絵を納品する契約が成立し、フェルナンドのお陰で、画家らしい生活が始まったと言える。鈴木晴信の浮世絵を彷彿させる、しなやかなラインで男女が描かれた《若いカップルと動物(1917年)》などの作品は、この「初期展覧会の紙作品(1917年)」コーナーで鑑賞できる。
ルノアールを訪ねたとされる南仏の町、カーニュ旅行で描いた肖像画などの作品は、「カーニュ(1918年)、美しき逃避旅行」コーナーに展示されている。ルノアールと親交のあったモディリアーニと藤田は、二人並んで同じモデルを描いたりもしたようだ。「神聖な部分」というコーナーでは、藤田がシェロン画廊に提案した、宗教をテーマにした作品が並ぶ。仏教と神道とキリスト教を同時に扱うなどは、それまでに無かった絵画のテーマであり、かなりパリジャンを驚かせたようだ。しかも、水彩で描いた主題の背後に金箔を施すなど、モダンな琳派の到来を想像させたに違いない。
1920年代後半に当たる「狂乱の時代、あるいは歓喜」の作品群は、度々複数の裸婦モデルで構成され、生気に溢れる圧倒的な迫力を持つ。この頃、一日15時間制作していたという藤田は、国際色豊かな老若男女で溢れるロトンド、ドーム、クーポール、ジョッケーに出入りしてチャージした狂乱時代のエネルギー、いや、制作意欲を倍増させる歓喜のエネルギーで満ちていたようだ。
「自画像、鏡とオブジェ」では、おかっぱ頭にちょび髭を生やし丸メガネをかけた彼自身と、そのバックに描かれる日常的オブジェを細かく観察してみたい。画家の自我と向き合った己の眼差しを忠実に表現した男に遭遇できる。「カルトなモデル」では、モデルと画家がテーマ。「YOUKIと彼らの狂乱の時代」コーナーでは、《横たわる女、ユキ(1923年)》など、当時二十歳だったリュシー・バドゥをモデルにした作品他、多数の裸婦が鑑賞できる。ちなみに彼女は藤田の二番目の妻となる。
藤田は、西洋人が考えもつかなかった、シッカロールも使った独自の方法で下地を準備し、細い面相筆で繊細な描線を描き、白人女性の肌という美しいマティエールを表現した。「乳白色の肌」「大いなる白地」として絶賛され、これが彼のトレードマークとなる。1922年、マン・レイの愛人だったキキをモデルにした作品は、サロン・ド・オートンヌ展に展示したその日のうちに8000フランという破格で売れた話は、あまりにも有名だ。次の「幼年のアート」コーナーでは、幼い頃から描いてきたテーマだったろう猫や犬、花を携えた子供を描いた作品を集めている。
一転、「大きな構成図」コーナーで展示されているのは、《ライオンのいる構図》《犬のいる構図》《闘争I、II》は、1928年に制作された各3平方メートルの大きな作品群。何十もの人物や動物がそれぞれのドラマを演出しており、まるで神話の場面ような不思議な世界を描き出している。彼曰く“ミケランジェロに挑戦した絵”だそうだ。大作を描く前には《横綱栃木山の像(1926年)》のような格闘する男性の肉体を何度も描いており、《闘争I、II》の部分習作の役割をしたようだ。
「パリでの大きな受注製作」では、連合国ユニオンクラブに収められた、伊藤若州風の作品など、知らなかった藤田を発見がある。また日仏交流に大いに貢献したバロン薩摩こと、薩摩治郎八がパリ国際大学都市の日本館のために注文したが、未完成に終わっている作品《利口な犬(1922年)》は、猫ではなく犬が描かれている。他に「藤田のアトリエ、内なる世界」のコーナーでは、アトリエで使った愛用品が並べられ、「藤田とアール・デコ」、「LAP石細工」では藤田の絵をモチーフにした寄木細工、石細工など工芸品の展示もある。
そして、「エピローグ」では、ユキことリュシーと別れた後、 “女豹”というあだ名で呼ばれたダンサー、マドレーヌと出かけた1931年の南米で描かれた作品が並ぶ。ブラジル、個展を開催したブエノスアイレス、キューバ、メキシコ、アメリカ西海岸・・・、日本に一旦帰国するまでの約2年間で、このFOUJITA<狂乱の時代に描く>展は締めらている。
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見どころは、藤田の裸婦作品の微妙な乳白色を比較できる点。個人蔵ゆえに展示されることが少ない肖像画、日本人画家としてのアイデンティティとオリジナルな作風を探ったかと思われる初期の作品、展示が珍しい工芸品、また、大連作を一気に展示・・・と、多義に渡る。そして、映像資料や写真では、画家の真摯な製作活動の傍ら、自己を誇張したような風貌をアイデンティティとして貫き、自らを演たかと思うほど戯けたパフォーマンスをする様子、モデルとやアトリエでの風景などをリアルに語り、狂乱の時代に生きるということが、どんなことだったのかを考えさせられる。
ここで展示されている大きな作品と宗教をモチーフにした作品を鑑賞した後には、改めて、晩年の藤田の作品も鑑賞したいと思った。祖国で描いた第二次戦争の戦争画を批判され、日本画壇から追放扱いを受ける藤田は、君代夫人と日本を離れてフランスにもどり、1955年帰化する。1959年、夫婦揃ってカトリックの洗礼を受け(レオナールは、洗礼名)、1966年にはランスにある礼拝堂のフレスコ画を描くことになる彼が、晩年をひっそりと過ごしたアトリエ兼住居がパリの郊外、ヴィリエ ・ル・バクルにある。現在、記念館として公開されているこのアトリエの壁いっぱいに、礼拝堂の壁画のための習作が描かれてあり圧巻だ。間違いなく、ここが藤田の魂の居所なのだ、と感じる場所なので、ぜひ機会を作って訪れてほしい。
東京都美術館(2018年7月31日から10月8日まで) 、京都国立近代美術館(2018年10月19日から12月16にちまで)開催分では、画家人生の全貌を把握できるセレクション、しかも黄金期の裸婦も十点以上揃う内容で、回顧展史に残る充実度を期待できるものとなるようだ。
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Léonard Tsuguharu Foujita, Jeune couple et animaux, (若いカップルと動物)1917, aquarelle et encre sur papier, colllection particulière, USA © Fondation Foujita / Adagp, Paris, 2018 Photo : © Archives artistiques
au musée MAILLOL – Foujita “PEINDRE DANS LES ANNEE FOLLES ” (c)Tomoko FREDERIX
au musée MAILLOL – Foujita “PEINDRE DANS LES ANNEE FOLLES ” (c)Tomoko FREDERIX