2024年は印象派誕生150周年! 中国伝統芸術をベースに持ちパリで開花した印象派の後継者 、 ザオ・ウーキー展ドーヴィルにて開催中!

印象派ゆかりの地、ノルマンディー地方でも印象派誕生150周年イベントが目白押し


 それまでのアカデミックなサロン(アートショー)の枠から外れた、新しい芸術を追求していたモネ、ルノワール、ドガ、モリゾ、ピサロ、シスレー、セザンヌらの若い芸術家が集まり、著名な写真家、ナダールのパリのアトリエで合同展示会を開いたのは1874年だった。これを見た美術評論家がモネの絵のタイトルを引用し「新しい芸術ムーブメント、印象派が誕生」と批評を書いたため、1874年は印象派の誕生年とされている。そしてモネの『印象・日の出』は、印象派誕生を象徴とする作品になった。

 2024年は印象派誕生150周年にあたるため、世界一印象派を所蔵するオルセー美術館では3月26日から6月14日まで「パリ1874年、印象派の創造(Paris 1874. Inventer l’impressionnisme)」展を開催。1874年にナダールのアトリエで展示された作品、約130点が一堂に鑑賞できる、又とないチャンスとなっている。(この間、モネの『印象・日の出』も展示されているので、お目当にしている方はパリ・マルモッタン美術館蔵ではなくオルセー美術館へ、どうぞ) 

 さて、この『印象・日の出』とい作品は、セーヌ川がドーバー海峡にそそがれるノルマンディー地方の港町、モネが住んでいたル・アーブルで描かれた。モネが繰り返し描いた夏に睡蓮の咲く庭(現、モネ財団) はパリから約1時間ほどのジベルニーという村に。何十枚も日差しによって表情を変えるゴチック式の大聖堂はルーアンにある。ル・アーブルに近いオンフルールは、若いモネを評価した『印象派の父』ウジェーヌ・ブーダン誕生の地。スレートや木を鱗状に施した壁の木造建築が旧港を囲むように並ぶオンフルールの旧港の風景は、当時から画家の心を掴んで離さない情緒に溢れ観光客も絶えない。オンフルールの海岸を眺める高台にはブーダンやモネ、ヨンキント、ボードレールらが芸術論を交わしたフェルム(農家)・サン・シメオンもある(現在はレストランやスパを併設する高級ホテル)。

 この歴史を踏まえノルマンディー地方では毎年3月から9月に渡り  « 印象派フェスティバル » と銘打った数百のイベントを全域で開催している。今年の印象派フェスティバルは、誕生150年を振り返るテーマと、現在の印象派、将来の印象派をテーマにしたものを取り揃えた様相だ。ドーヴィルのレ・フランシスケーヌ(2021年開館時の記事はこちらから)では、今年の印象派フェスティバルのこけら落としにふさわしい叙情的抽象画の巨匠、ザオ・ウーキー展が好評開催中だ。

中国伝統芸術をベースに持ちパリで開花したザオ・ウーキーの一生

 1920年、北京の名門の家系に生まれたザオ・ウーキー(趙無極 Zao Wou-Ki )は、幼少の頃からその才能を見せ、15歳で杭州国立美術学校に入学する。この6年間で中国の伝統の書画のほか西洋美術も学んだ。卒業後すぐに美術学校の助教授に抜擢されるが、ザオは伯父がパリから持ち帰った絵葉書やアメリカの雑誌に掲載された西洋の美術に完全に打ちのめされていった。伝統に縛られた中国画壇にはない、セザンヌやマチス、ピカソの自由な表現の作品は、ショッキングといっても良いインパクトを与えたにちがいない。

 世界第二次戦争も終わり、1946年在中国フランス大使からパリで芸術活動をするように勧められ、翌年パリに渡る決心をする。妻とともに海を渡り、パリに移住するということは、中国伝統美術をベースに、独自の芸術を、彼自身の芸術を生み、世に出し、世界に通用する画家として生きて行く決心をした、ということだ。

 1948年、エコール・ド・パリの画家たちがたむろうモンパルナス界隈にアパートを借り、近所にあるグランド・ショミエールのアトリエとフランス語の学校に通い、パリを、とりわけルーブル美術館を隈なく歩き回ったザオ。国際色豊かな芸術か仲間と出会い、リトグラフィー(ロートレックなどのポスター作品でも使われた石版画)という画法にであったた1949年、パリの初の個展を開いた。

 パリやニューヨークのギャラリーでも個展を成功させ、アメリカの抽象表現主義(ニュー・ヨーク・スクール)にも影響を受けた50年代を経て、62年にはフランスの当時文化大臣だったアンドレ・マルローの本のため、リトグラフ(石版画)のシリーズを製作。マルローの後押しで62年にフランス国籍を取得した。

 世界の有名美術館で大規模な展示会が開催されるスター作家に成長するとともに、作品のスケールも大きくなっていった。80年代以降、パリのグラン・パレなど国立美術館での展示会のほか、中国の美術学校で教える傍らパリの美術学校教師としても活躍。フランスを代表する画家に成長した。水彩をフューチャーした『クロード・モネへのオマージュ』展がルーアン美術館で開催された翌年、2013年にスイスで息を引き取り、モンパルナス墓地に埋葬された。


印象派150周年イベントにふさわしいザオ・ウーキー展

 モネ、カイユボット、ブーダンなどの画家に描かれた砂浜のあるドーヴィルの複合文化施設、レ・フランシスケーヌで開催中のザオ・ウーキー展は、『別の世界へ導く道Les allées d’un autre monde』とサブタイトルがつけられており、回顧展にはなっていない。むしろ、彼の哲学、人生論と作品を同時に体験するようなファンタジックな内容になっている。

 中国伝統の墨と筆を使う作品は、アジア人の心に深く染み入るものだが、会場にはカラフルな色を使用した作品が多い。先にあげたように印象派の巨匠、モネには特別な距離感を抱いていたウーキーが描いた油彩、『クロード・モネへのオマージュ(1991年194x483cm)』もその一つ。ジベルニーにある睡蓮の池に反射する光と空、手前の樹木の陰と上部からは垂れ下がる藤を彷彿する色のハーモニーを楽しめる一品(三枚で一枚の作品を構成するトリプティック)だ。ウーキー氏と交友もあったキュレーターのジル・シャザル氏が説明している明るいグリーンの油彩作品のタイトルは『27.06.2007』。日付がタイトルになっていて、6月末の強い日差しの中で見た草原、あるいはモネの睡蓮のような、水面に浮かんでいる植物などのイメージが浮かぶ平穏な気分の作品ではないだろうか。

 本の挿絵になっているリトグラフィー(石版画)作品は、色を重ねたものも多い。2007年ごろに花瓶に生けた花を水彩で描いたシリーズも美しい。同じピンクを使っており、ウーキー氏の庭で咲いていた花か、お気に入りの花を何度も何度も描いたのだろうと想像する。細い筆で何度も繰り返される線で描かれたボリュームのある花束に、墨絵そのままの筆使い、気迫を感じるシリーズになっている。

 彼は産業製品とのコラボレーションも多く残している。ポンピドゥー大統領時代に国立セーヴル陶磁器製作所とのコラボレーションがはじまり、会場にはリモージュ磁器の老舗、ベルナルド社で作られた、限りなく白い花瓶にウーキーの筆づかいが飛び散る作品群も楽しめる。

 会場にある一番大きな作品は、1981年に描かれた95.5 x 1620cmに及ぶ連作。ルーブル美術館のピラミッドの建築家として有名なイオ・ミン・ペイとも親しかったウーキーは、南仏、トゥーロンの近くにあるラ・セーヌ・シュル・メールのプロジェクトを進めてた建築家のロジェ・タイイベールに注文されて、この壁画を納めた。現在はヴァール県蔵の地方自治体の財産となっている。

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 2018年オークションで、アジア人の画家としては最高価格(約72億円)で落札された画家、ザオ・ウーキー。目の前に存在する世界と、見えない何かを混合させた調和を表現することに成功した彼は、現在、世界中から印象派の後継者と認識されていると言えよう。

(text & photo : Tomoko FREDERIX )

レ・フランシスケーヌ・ドーヴィル

ザオ・ウーキー展は2024年5月26日まで開催中

https://lesfranciscaines.fr

印象派の巨匠、モネに捧げる『クロード・モネへのオマージュ(1991年194x483cm)』も©️Tomoko FREDERIX
ダイナミックな墨絵に感動『無題(2006年, 274.5 x 213.5 cm )』©️Tomoko FREDERIX 
ウーキー氏と交友もあったキュレーターのジル・シャザル氏と油彩『27.06.2007』©️Tomoko FREDERIX
花瓶に生けた花を水彩で描いたシリーズ『無題(2007年)』©️Tomoko FREDERIX
1981年に描かれた学校の壁画だった大作©️Tomoko FREDERIX
優しい笑顔のウーキー氏のポートレートも。©️Tomoko FREDERIX