【VR/360°コンテンツ】パリのルイ・ヴィトン財団美術館で 現代アートのマスターピースを一挙に堪能できる 史上最強『現代美術のアイコン~モロゾフ・コレクション展』開幕 ! 

弧を描くガラスの屋根が重なった、ファンタジックな趣のフランク・ゲイリー建築のルイ・ヴィトン財団美術館では、2021年9月22日から2022年2月22日までのロングラン・イベント、

『現代美術のアイコン~モロゾフ・コレクション展』が始まった。

フランスにおいても、新型コロナ感染勢力を抑え込むべく、2020年秋から美術館他文化施設の強制閉鎖 が繰り返されていた。このイベントも数回、延期されたが、やっと開幕にこぎつけた。2016-2017年、当財団のこけら落としとして開催した『現代美術のアイコン~シチューキン・コレクション展』の第二弾として企画されたもので、130万の入場者を記録した第一弾と同様、展示会史上に残るハイレベルなイベントになっている。

史上最強、モロゾフ・コレクション

現代美術のアイコン~シチューキン・コレクション展』のコレクター、セルゲイ・シチューキンと肩を並べ、歴史に残るロシアのアート・コレクター、ミハイル&イワン・モロゾフ兄弟(1870年、1871年生まれ)は、パリほか各地で現代アートが花開く20世紀初頭、欧州やロシアのアーティストをサポートしたパトロン中のパトロンだった。約250点のフランス絵画、彫刻、装飾作品と、約450点のロシアの写実派、移動派、象徴派、印象派、ポスト印象派などを所蔵した兄弟のコレクションは、1917年のロシア革命後、全て国に没収された。だが、そのおかげで(?)現在サンクト・ペテルブルグのエルミタージュ、モスクワのプーシキン、トレチャコフといった国立美術館に収められている。

ごく一部の名画は、2005、2013、2018年に開催されたプーシキン美術館展で日本にやってきたこともあるが、この『現代美術のアイコン~モロゾフ・コレクション展』には、初めて国外で展示される大作も含む、200点の <現代アートのマスターピース >が並ぶもの。これらを鑑賞すれば、19世紀から20世紀に欧州とロシアを駆け抜けた、芸術旋風を肌で感じること請け合いだ。

仏露友好関係があってこそ実現した、歴史に残る展示会

展示は、地下一階のロシアの実業家が注文した肖像画が並ぶ、「画家とメセナ ー ファイス・トゥー・フェイスPeintres et Mécènes-Face à Face」から始まる。ミハイル&イワン・モロゾフ兄弟や家族、友人の肖像画は、イリア・レーピン、ミハイル・ヴルーベリ、コンスタンチン・コロヴィン、アレキサンドル・ゴロヴィンなどロシア派の画家によるものだ。1909 ~1941年に撮影されたモスクワのイワン・モロゾフ宅内部の写真の展示も興味深い。

そして、1900~1913年に購入された初期のコレクションは「ある視点の創生L’Invention d’un regard 」コーナーにある。現在はプーシキン美術館に所蔵されているルノワールの  « 女優ジャンヌ・サマリー嬢(1877) »は、第三回印象派展に出品された傑作。まっすぐに投げかけられた美しい笑みを浮かべる彼女…。纏う香りまで届きそうな美しい肖像画は日本で鑑賞された方も多いだろう。1900年、エドゥアール・マネにとってロシアのコレクターの手に渡った記念すべき第一号は « ル・ブーション(ラ・ギャンゲット)1878 » 。労働者と思しき男性がグラスを傾ける庶民的な店内の一シーンだ。バラ色の時代から青の時代の過渡期にピカソが描いた « アルルカンと女友達(サルタンバンク) »は1908年にミハイルに購入され、彼にとってのロシア納入第一作となった。

『ピエール・ボナールの四季Les Quatre saisons de Pierre Bonnard 』コーナーには、イワンが1905~1913年に注文したピエール・ボナールによる8枚の絵画と5枚の大作絵画が展示されている。神話からインスピレーションした柔らかいラインのナビ派の作品は、豪奢な住まいの大きな階段の踊り場にあわせて描かれたもので、今回、フランスまで特別列車で運ばれてきたのだそうだ。『自然から静物へDe la Nature des Choses 』コーナーでは、1902年以降、次々に増えていったアルフレッド・シスレー、ルノワール、モネ、カミーユ・ピサロなどのフランスの印象派に加え、ロシアのヴルーベリ、コロヴィンらの風景画が並んでいる。芸術界に旋風を巻き起こした第一回印象派展は1874年に開催されたので、この時代には印象派を鑑賞する目も肥えてきていたに違いない。ルノワールの « 庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰(1875) »は、オルセー美術館所蔵の « ムーラン・ド・ラ・ギャレット (1876)»を仕上げる前、あるいは同時期に描かれたもので、手前の女性は斜め後ろ姿。ダンスホールの喧騒を避け、仲の良い男女が木漏れ日の下で歓談する様子が描かれている。

次は、地上階に登り『ポリネシアのある日 ポール・ゴーギャンUne Journée en Polynesie  Paul Gauguin』コーナー。1900年からゴーギャンの作品を次々に手に入れたミハイルに続き、イワンは1907年から11の作品をコレクションに加えた。イワンが購入した  «アルルのカフェ(1888)»は、ゴーギャンがヴァン・ゴッホと南仏アルルで共同生活をした頃の作品。これを除き、ここに展示されている12の作品はいずれもタヒチ時代のものだ。  « 果物を持つ女(あなたはどこへ行くの? )(1893)»など、エキゾチックな褐色の肌の女たちはタヒチの魅力そのもの。そのプリミティブな魅力はロシアの美術ファン、また富裕層の好奇心をも満たし称賛されたのだろう。

展示はその後、ピエール・ボナール、モーリス・ド・ブラマンク、アンドレ・マルケ、アンドレ・ドランなどのナビ派、フォーブ派を集める『暴風雨好きLes Amateurs d’Orage』コーナーへと続く。ゴッホの、風をはらんだヨットがリズミカルな « サント・マリーの海(1888)»など悪天を題材にした躍動感のある風景画と、マルティロス・サリヤンやムンクの « 白夜(1903) » など、色彩には躍動感があるが時間が止まったような静けさを持つ作品が、お互いの個性を引き出すかのように並んでいる。更に階上にある『限界のない風景 ポール・ゼザンヌLes Paysages 』コーナーでは、1807年のサロン・ドートンヌ絵画展で見て以来、イワンが買い続けたセザンヌの風景画18点が展示されている。南仏エクス=アン=プロヴァンス生まれのセザンヌにとって、郊外にある標高1000メートルほどの石灰山、サント・ヴィクトワール山は幼少の頃から眺めた親しみのある風景。青空に映えるこの山をモチーフに、彼は何十回も繰り返して描いている。

次の展示室『セザンヌ、ピカソ、セザニストたちの肖像画 Portraits Génériques , Cézanne, Picasso & Les « Cézannistes »』と題し、セザンヌが影響を与えたロシアのセザニスト(セザンヌ派)、印象派、プリミティヴィスト(非西洋的、原始的芸術に影響を受けた画家たち)の作家の作品と、セザンヌの自画像を含めた作品が同時に鑑賞できる。次の『ポスト・セザンヌのモダニティModanité Post- Cézannienne 』では、イリア・マシコフの«自画像とピョートル・コンチャロフスキーの肖像(1910)»が興味深い。ピアノとテーブルの間にピョートル・コンチャロフスキーとヴァイオリンを持ったマシコフが並んで座っいるのだが、二人はボクサーのようなトランクス姿。ピアノの上に並ぶ本の背には、セザンヌ、アート、エジプト・ギリシャ・イタリア、聖書、と描き込まれている。芸術界への問いかけを、自ら戦う姿に替えて世論に投げかけたかのような、エネルギッシュな大作(208x270cm)だ。ピカソの青の時代の傑作«ボールに乗る軽業の少女(1905)»もここに展示されている。

モロゾフ・コレクションの中では少数派の静物は、『生活必需な静物 Natures Mortes de Prémière Necessité 』コーナーに。セザンヌのテーブルに置かれた食器や果物は、それまでの絵画の概念を破ったと言われている。物を眺める基礎となる視点が、描かれる物毎に変化する、つまり、複数のパースティクティブが重なるように描かれている。それまでのアカデミックな評価家なら「デッサンが狂っている」と言われるこの方法も、やがてキュービズムに繋がる新しい平面絵画の捉え方として高く評価されたのだ。

『服役囚 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホLe Prisonnier Vincent Van Gogh』コーナーは、《服役囚のロンド(1890)》のみが収められている。ゴッホは、約一年、サン・レミ・ド・プロヴァンスのサン・ポール・ド・モーゾ修道院にあった精神病院で治療を受けており、その頃の自分の姿を描いた作品だ。ギュスターブ・ドレのデッサンをベースにしたこの作品は、小さな窓があるだけの高い壁に囲まれた薄暗い建物の中、大勢で輪になって、何の楽しみも見出せないような歩行運動をしている様子だ。この絶望的な絵そのものの精神状態だったゴッホは、1890年5月にこの病院からオーヴェル・シュル・オワーズのガシェ医師の元へ移り、オーヴェルで自殺をするまでの約2ヶ月間に、72枚の作品を残した。この精神病院時代がどれだけフラストレーションになっていたか想像ができる。

さらに階上、『世界の間で アンリ・マティスEntre les Mondes Henri Matisse』コーナーがある。自宅の壁画  « ダンス »をマティスに注文したのはシチューキンだった。その彼に紹介され、イワンはマティスと出会い、 « ダンスのある静物 (1909)» を注文した。この展示室にはマティスのモロッコ時代の傑作も並ぶ。ヴァレンティン・セローフによる « 現代ロシアとフランス絵画のコレクター、イワン・アブラモヴィッチ・モロゾフ (1910) » と題されたイワンの肖像画は、背後にマティスの« 果実とブロンズ (1910)»が掛かっているのが印象的だ。

ドガのパステル画やマティス、ルノワール、ピサロなどの裸婦、ロダンやカミーユ・クローデルの彫刻などが収まる『アトリエのヌード Des Nus dans l’Atelier 』の後、セルゲイ・コーネンコフによる三体の木製の彫刻『三つの裸体Trois Nus 』コーナーがある。「ロシアのロダン」と異名を持つこの彫刻家は、イワンがこれらを購入した後に、アメリカに亡命している。この頃、コーネンコフはアメリカのロックフェラー医学研究所から注文を受け、同研究所に所属していた野口英世の胸像も制作している。ちなみにこの胸像は会津若松の野口英世記念館にある。

展示のフィナーレ、『プシュケーの物語 モーリス・ドニ – アリスティド・マイヨールL’Histoire de Psyché Maurice Denis – Aristide Maillol 』コーナーに進むと、イワン・モロゾフがモーリス・ドニに注文した7枚パネルの大作《プシュケーの物語(1908)》と、マイヨールの等身大の彫刻4体が、イワンの音楽の間を再現かのように展示されている。これら、音楽の間にあった全ての作品を同時展示するのは、1918年以来初めてのことだそうだ。これら、サンクト・ペテルブルグのエルミタージュ美術館から初めて国外に貸し出されたマイヨールの作品は、モーリス・ドニがマイヨールをモロゾフに紹介したから注文に至ったと言う逸話も持つ。

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時代は「ニューノーマル」になり、条件付きで国境を越えられる状況にはなったようだ。だが、数年前のように気軽に欧州まで旅行できる状態にはなっていない。来仏できないアートファンのためにも、この素晴らしいコレクションを疑似体験できるよう、当フレンチ・カルチャー・マガジンでは、写真とともにミニVR画像も掲載した。ぜひ、VRゴーグルとスマホでデジタル体験をしてほしい。

ルイヴィトン財団公式サイトはこちら

https://www.fondationlouisvuitton.fr/fr

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ルノワールの印象派時代最高の肖像画と評される  « 女優ジャンヌ・サマリー嬢(1877) »は、第三回印象派展に出品された。Auguste Renoir, Portrait de Jeanne Samary, Paris, 1877
©Musée des Beaux-Arts Pouchkine, Moscou
ポール・ゴーギャンのタヒチ時代の代表作« 果物を持つ女(あなたはどこへ行くの? )(1893)»Paul Gauguin, Eu haere ia oe (Où vas-tu ?) La Femme au fruit, Tahiti, 1893
©Musée de l’Ermitage, Saint-Pétersbourg
マティスの« 果実とブロンズ»をバックに描かれたイワンの肖像画はヴァレンティン・セローフによるもの。 « 現代ロシアとフランス絵画のコレクター、イワン・アブラモヴィッチ・モロゾフ(1910) » Valentin Sérov, Portrait du collectionneur de la peinture moderne russe et française Ivan Abramovitch Morozov, Moscou, 1910
©Galerie Trétiakov, Moscou
絶望のゴッホが精神病院入院中に描いた《服役囚のロンド(1890)》の前で解説をする当展示会のキュレーター、アンヌ・バルダサリ氏©Tomoko FREDERIX All rights reserved 2021